太陽への祈り(日拝)

太陽への祈りは古今東西様々な形がありますが、その中に太陽を通して万物の根源との繋がりを深める祈りがあります。

 

その祈りは・・・人は生まれながらにして神であり、神の分身としてこの世界に存在していること、そして、常に神と人は一つであること(神人一如)を思い出させ、その大いなる源へ回帰する「生宣り(いのり:生命の宣言)」です。

 

日本においては、太古の昔より太陽祭祀が連綿と受け継がれており、「いつも天道さまが見ている」という感覚が今もなお残っています。

 

その歴史の中で特筆すべき存在は、太陽への祈りを通して、生きながらにして神人合一を体現した幕末の神道家、黒住宗忠でしょう。

 

黒住宗忠(1780-1850年)

 

 

黒住宗忠は、教派神道(神道十三派)の一つ、黒住教の創始者であり、冬至の東の空に昇る太陽を拝んで、神人一体の境地に至り、「人は皆、天照大御神の分身をいただく神の子」という宇宙観を明らかにしました。その後、様々な託宣や病者の救済を行いながら、30年以上にわたって各地で布教活動を続けました。

 

宗忠は、日の出を拝む日拝を最も大切な祈りとし、その祈りを通して、日の神・天照大御神へ感謝を捧げることの大切さを説きましたが、宗忠が言う「天照大御神」は「天地の父母」と表現されているように、あらゆる宗教、民族に共通する森羅万象の根源的存在です。

 

宗忠は、どんな人でも心が調和に満ちた状態になれば、心の奥深くに鎮まる根源なる神と繋がり、完全に合一できるという神人合一の道を説きました。

 

その大いなるものと一体となるために毎朝感動と感謝の心で日の出を拝むのが日拝であり、日々その祈りを重ねることで「まること」の精神が作り上げられていきます。「まること」とは、「丸いこと」、つまり、歪みや偏りのない調和のとれた状態を指し、それこそが天地自然の元来の姿です。

 

毎朝の日拝を通して、自らの存在を大いなるものに捧げ、「まること」の精神が整えば、自ずと天地自然と一体になり、根源なる宇宙大生命と合一できるのです。

 

太陽は、この大宇宙における自然の顕れとして、地球から目に見えるものの中で一番大きく、一番輝かしい光を放つ存在です。しかし、私たち一人ひとりの魂はそれよりも遥かに大きく、遥かに強い輝きを持つ存在です。その生命の本来の姿、「神」や「愛」としか表現しようがない宇宙大生命に回帰する魂の発露、、、それを一つの形にしたものが、太陽への祈りです。

 

それは宗教・民族・文化の如何にかかわらず、毎朝誰でも何処でもできる祈り(生宣り)であり、それが世界に広がれば、感謝と感動で始まる朝のリレーが地球を巡ることになります。祈りの姿は見る人を感化し、祈りの働きは世界をも変容させます。そして、そのような祈りの潮流は、すべての存在が表面上の違いを超えて完全に一つとなることに繋がります。

 

今日からでも、明日からでも、晴れの日も、雨の日も、朝日を拝み、宇宙大生命と一体となった心で、大いなる一日の始まりを迎えましょう。

 

その輪(和)が広がれば、真に調和のとれた社会、愛に満ちた地球文明が自然と築き上げられていくでしょう・・・。